昆虫と同居していた話
梅雨明け頃から夏の終わりにかけて一緒に暮らした昆虫についての書き置き
出会い
たま編
2019年6月16日(日)
夕方帰宅をするとドアの前にそいつはいた。
梅雨明けが待ち遠しいこの時期に舞い降りた夏の象徴に、私はとてもテンションが上がった。
ちょうどその時、隣隣人※の部屋で餃子パーティーをやっていたので、そいつをつまみ上げ、そのまま隣隣人の部屋に連れ込み、手の上やプラコップの中で元気よく動く様子を餃子を食べながら眺めていた。
昆虫標本を作ってみたいと思っていた私は、亡き骸目当てで飼うことにした。
名前はいろいろ考えたが、シンプルかつノコギリにそぐわない可愛いものにしようと思い、たまと命名した。
拾った日の晩はクワガタを収納するのに適当な容器がなかっため、不要なタッパーに穴を開けてそこに住ませた。
蓋をしたはずの住みかは深夜3時に何故か開け放たれ、昆虫独特の硬い羽音で叩き起こされた。
次の日超特急で虫籠や土壌などを購入した。
※隣の隣の部屋に住んでいる人の意
ゴン編
2019年6月26日(水)
毎週水曜日は私が所属する研究室の学生が有志で集まるゼミの日である。
この頃たまを飼い始めていた私は、研究室の人々に、まるで親が子の自慢をするかのように写真を見せてまわっていた。
ゼミが終わり学生たちが帰り始める頃、博士の先輩から「朝家を出たらカブトムシが倒れていて捕まえてみたんだが、引き取らないか」と声をかけられた。
もともとカエルを骨目的で飼っていて虫籠を大量に持っていた先輩は、虫籠ごと私に譲ってくれた。中には弱々しく立つカブトムシのメスがいた。
正直カブトムシはオスの立派な角を愛でる方が好きだったが、もう死ぬかもしれない程弱って見えたため、死んだ時は標本にしようと思い虫籠を持ち帰った。
どっしりとした佇まいからゴンと名付けた。
同居開始
たまとゴンと3人(匹)の生活が始まった。
家に帰ると迎えてくれる(ような感じがする)人がいるのはやはり良いものである。
たまは移動する・枝に留まる・飯を食べるどれにおいても、本当に野生の昆虫だったのかと疑うほど下手くそだった。
時折様子を見ると大体はひっくり返っているか、枝と枝の間に挟まり変なポーズを取っていた。
初めは生き絶えているのではないかと心配したが、見慣れてくるとその不器用さも愛おしくなってきた。
食料は両者とも昆虫ゼリーを与えていたが、たまはゼリー容器に頭を突っ込んだまま静止していることもあった。
ゴンはとにかくよく食べていた。
体格は平均的ではあったが、たまが3日で1個消費するゼリーを1日1個ペースで平らげていた。
その頃自炊も食事自体も疎かにしていた私は、自分のエサよりゴンの飯を買いに行くペースの方が多かった気がしなくもない。
ゴンも食い意地をはっていたのか、ゼリーの容器に頭を突っ込んだまま静止していることがあった。
2人とも土の中に良く潜っていたため、私が虫籠を掃除する度にこだわっていた枝や朽ち木のレイアウトは瞬時に崩されていった。
初めは水分を与えすぎて住みかをカビの楽園にしたり、たまに脱走されたりと苦労したが、次第に世話も慣れていき愛着も湧いてきていた。
別れ
はじめに去っていったのはゴンだった。
夏休みも終盤の9月下旬頃、私はアルバイトと研究とフィールドワークで家を空けることが多くなっていた。
数日家を空ける時はよく、隣隣人に世話を頼んでいた(とても感謝)のだが、ある日隣隣人も都合が悪く、自室に虫籠を置いたまま出かけることになった。
自室で虫籠を数日放置することはそれまでに数回試しており、ゴンがゼリーを平らげきってしまうこと以外特に心配することもなかった。
いつも通り、ゴンの虫籠にゼリーを余分に入れ、両籠に水分を足し家を出た。
数日後、家に帰ると同居人の様子が少し変であった。いつもであればすべて空になっていたゼリーが、すべて手付かずのままゴンの横に転がっていた。
その翌日、ゴンは動かなくなった。
私は少しの悲しみと一緒にゴンを袋に丁寧に入れ冷蔵庫に仕舞った。
心配になりたまの様子も見たが、特に変な様子はなく、いつも通り枝の下敷きになってモゾモゾしていた。
9月末、たまは静かに動かなくなった。
気がついた時は土と木の皮の間に挟まっていた。死んだのかと思ったら本当に死んでいた。
2体の亡き骸を手に入れ、クワガタとカブトムシを飼う当初の目的を果たせるようになったが、少し寂しい思いもあった。
おわりに
道端で生きている所を拉致し部屋に連れ込み監禁するというヒトのエゴに付き合わされながらも、愛くるしい姿を存分に見せてくれた2人にはとても感謝している。
本当はもう少し長生き出来たのではと後悔している所はあるが、綺麗な姿のまま昆虫標本にすることができ満足している。
本当は標本を作成するところまでを記述する予定だったが、長文になってしまったのでここで区切りとする。